ルル・ストリート

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「CONVERSATION AVEC JRG」~JRGとの会話

 来年の一月に公開されるジャン・リュック・ゴダールの新作「さらば、愛の言葉よ(Adieu au Langage)」に合わせて、この記事では2010年にピエール=アンリ・ジルベールとドミニク・マイエが行ったゴダールへのインタビューの中でこの映画に関する彼の言及があったので、短いが掲載したいと思う。

 

ゴダール(以下、JRG)「(フォーエヴァー・モーツァルトの)最初の脚本は違ったんだ。タイトルは最初から決めてあったが話の内容は違った。よくレコードを送ってもらったドイツの会社の話だったな。音というのは・・・、普段私はほとんど音楽を聴かない、何かを探す場合も音より本や映画に頼ることが多い。だが、ある種の音はよく・・・、ECM社(※注 ドイツ(当時の西ドイツ)で1969年に設立されたジャズ系レーベル。)のレコードを見つけたんだ。そういうことだ。(もともと)込み入った話を作ろうとしていたんだが、結局あきらめた。1人の兵士の話だ。作曲家A・ヴェーベルンを殺したアメリカ人兵士だ。A・シェーンベルクの弟子の音楽家だ。戦争が終わった直後のウィーンでヴェーベルンは占領軍のアメリカ兵に射殺された。私のアイデアは兵士が自分のいわば”大罪”の場所に戻ってくるというものだった。そこで彼は・・・、誰かと再会する。当時、好きだった女性か誰かと再会するんだ。映画の批評家・・・、いや音楽の批評家も登場する。そして彼らはモーツァルトを聴きに行く。話しているうちに批評家はこの兵士がヴェーベルンを殺した男だと思うに至るわけだ。それが数年後、同じタイトルの別の映画になった。モーツァルトの演奏は同じ形で映画の中に残ったけどね。」

ピエール=アンリ・ジルベール(以下、PHG)「映画におけるあなたと音楽の関係を教えてください。音楽に関する作品もありますし・・・、あなたにとって動詞とは音楽であるという印象を受けますが?」

JRG「音楽は私にとって言葉の一部だ。ちょうど次の映画のタイトルを決めたところだが、「Adieu au Langage(言語よ、さらば)」だ。皆、言語を持っていると思っているが、実際に言語を持つ者は少ない。例えば動物には言語がないと思われているが、彼らは別の方法で言葉を交わしている。YouTubeにネコの動画があるが、「ゴダール・ソシアリスム」でも2匹のネコが鳴き合うシーンがある。2匹は明らかに会話しているんだ。「ブヴァールとペキュシェ」とはいかないがね。

 我々が知っている単語を使うには言葉とイメージが必要だ。そして、その全体を”言語”と呼ぶわけだ。非常に高いレベルでの話だね。次に文章が来て、次に”言う”ことが来て、そうしてつながっていく。人々の間にあるのは”言語”ではなく”言うこと”だ。その土台は別のものだ。”言葉”ではなく声だ。言葉は別物で、例えば精神分析や何かで使われるものだ。言葉とイメージが一体化して言語が生まれる。つまり言葉は姿を変え社会になる。「Adieu au Langage」とはー、”こういう話し方は終わりだ。別の話し方を(しよう)”という意味だ。(つまり)”言葉を試そう”だ。”我々の間にある言葉を感じよう”だ。”買い物をする”、”映画を観よう”、”君は最低だ”、自然に出てくるが、これらは”言語”ではない。

 映画に登場するのは2人の人間と2人が交流を持つ1匹の犬だ。犬がそう感じさせているんだ。だがその後、”無理解”が発生する。口論ならいつか和解できるが、そうはいかない。たった3秒で起こり得る。映画も3秒だ。問題は、3秒の映画に、30万ユーロは要求できないことだ。」

PHG「確かに言語について伺うと映画の言葉を想像しますね。」

JRG「少しずつ近づ(いてい)くんだ。私は文学をかじっているからね。もしタランティーノを批判するとしたら・・・、彼は文学的すぎるということか。しかもアメリカ文学だから私とは下地となるものが違うよ。」

 

この文章は以下のDVDBOXに収容されている冊子から引用しました。

 

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